世の中ではよく
「誰かに話せば楽になる」と言われます。
一人で悩んでいるとき、
こんなふうに声をかけられたことはありませんか。
「誰かに話せばいい。楽になるから。」
これには一理あります。
実際、話して少し気持ちが軽くなることもあります。
しかし私の経験では、
楽になる時もあれば、ならない時もあった
というのが正直なところです。
この記事では、
「人に話せば楽になる、は本当か?」
この問いについて書いています。
話しても、気持ちが整理されないとき
話して、かえってつらくなった経験を持つ人も少なくありません。
それは、話した内容が重かったからでもなく、
話すこと自体が間違っていたからでもありません。
たとえば──
- 転んで骨折したときに
「注意不足だ」「自己責任だ」と言われる - 子育ての苦しさを打ち明けたら
「私にそう言われても困る」「私は子どもがいない」と遮られる - 介護の相談をしたら
「あれもこれもやろうなんて無理」「介護だけにしなさい」と
選択肢を狭められる
こうした言葉は、悪意があるわけではありません。
けれど、話した側の気持ちが整理されることはなく、
むしろ
「話さなければよかった」
という感覚だけが残ることがあります。
原因は「話したこと」ではなく、「話す相手」を選んでいなかっただけ
原因は、「話したこと」そのものではありません。
話す相手を選んでいなかっただけです。
骨折したことがない人に、
骨折の痛みを話しても、実感することは難しい。
子どもがいない人に、
子育ての苦労を話しても、理解してもらえないことがある。
介護をしたことがない若者に、
介護の大変さを語っても、想像するのは簡単ではありません。
同じような経験をした人であれば、
「私の場合はこうだった」と
お互いの話が自然とかみ合うこともあります。
友達だから、家族だから、
きっと分かってくれるはず──
そう思っても、通用しない場面は確かにあります。
私は15年以上、人に話し続けてきた
私は15年以上、人に話し続けてきました。
でも、誰にでも話したわけではありません。
生きていくことに関わる問題が、
複雑に絡み合っていたからこそ、
話す相手も、話す内容も、
慎重に選ぶ必要がありました。
一人では、どうしようもなかった。
だから話しました。
そして話し続けたことで、
それまでの人生とは
結果が大きく変わっていきました。
話すとは、正解や評価をもらうことではない
話すとは、
正解をもらうことでも、
評価されることでもありません。
話すという行為そのものに、
深い意味がありました。
話していい。けれど、相手は選んでいい
話していい。
でも、相手は選んでいい。
話しても安全だと思える人に。
静かに受け止めてくれる人に。
私は学びました。
人に相談していい。
「助けて」と言ってよい。
人は助けてくれます。
私を助けることは、その人のためにもなる。
人は、自分よりも
ずっと上手くやってくれることがある。
相談員も、家事ヘルパーも、
ベビーシッターも、
みんなとてもよく助けてくれました。
私は、
安心して自分を休ませることができました。




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