考えすぎているのではなく、混線しているだけかもしれない

冬の森の中で、複数の道が分かれている風景

「考えすぎですよ」
そう言われたことはありますか。

自分はおかしいのだろうか、神経質なのだろうかと悩んだり、落ち込む人は少なくないようです。
この記事では、「考えすぎ」と言われたときに感じる違和感について記述します。


目次

「考えすぎ」と言われた

以前、私が関わっていたある活動の中での話です。

「考えすぎだよ」
運営パートナーに、よくそう言われていました。

本当にそうかな?
私はそう思いました。


問題の混線とは

運営パートナーとは何度も話し合いを重ねてきました。
はじめは、もやもやとした違和感もありましたが、活動を形にしていく過程で課題を一つずつ乗り越えてきたために、順調に活動を続けていられるのだと思っていました。

運営5年目の時、解決したい、話し合いたいテーマが私の中に10個以上ありました。
それはあくまで、私が気になっていた10個の課題でした。
パートナーがどう考えていたのかは、わかりません。

ある時から、運営者である二人の間に、少しずつズレが生じてきた感覚がありました。
しかし活動自体はうまく回っており、忙しくなってきていました。

話し合いの時間を十分に持てないまま、10個の問題が絡み合い、混線した状態で進んでいきました。


混線しているときに起きること

考えても考えても、答えは出ませんでした。
当時、私がやるべきだと判断したことは一つだけでした。
急成長していた活動の足元を整えること、つまり経理です。

運営の基盤である活動資金を直視せずに、次の段階へ進むことはできない。
そう考え、私は現場をパートナーに任せ、自分は事務所にこもり、経理の整理に専念しました。
そのおかげで課題の一つは、確かに整理できたと思います。

経理の方向性がまとまり、私は現場に戻りました。
パートナーは復帰を喜んでくれました。
しかし、そこから混線はさらに強まっていきました。

疲れ切っていたパートナーは、話し合いを避けるようになり、運営に関する話題自体を断るようになっていきました。
理由はわかりませんでした。
体力的に無理をかけてしまったのだろう、少し休んでもらおう。そう考えていました。

しかし、休むことを良しとしない彼は現場に立ち続け、そしてある日、突然の通告がありました。
活動の解散です。
それは一方的なものでした。


整理するとはなにか

私は整理をしたかったのだと思います。
何が問題だったのか。
運営者として、私たちの考え方のどこが違ってきたのか。
どこにズレが生じていたのか。

だから、ただ話し合いたかった。
しかし、その機会は最後まで持てませんでした。

すべてが終わった今なら、何が問題だったのかは、よくわかります。
けれど、問題の渦中にいたあの時には、それが見えませんでした。
さまざまな要素が絡み合い、どこに目を向ければよいのか、どこから手をつければよいのか、わからなかったのです。

問題は、もつれた糸のような状態でした。
糸をほどくには、時間と根気が必要です。
焦れば焦るほど、糸の塊は強く固まり、ほどけなくなります。

「今は糸がもつれている」
まずは、そう認識することがスタートなのだと思います。


混線の中にいたとき

すべてが終わった今なら、
何が起きていたのかは理解できます。

しかし、当事者である最中には、
それが見えませんでした。

感情、責任、期待、疲労。
それぞれが絡まり合い、
どこから手をつければいいのかが
わからない状態だったのだと思います。

あの時、必要だったのは
答えでも、決断でもなく、
「いまは混線している」という
認識だったのだと思います。

ひとりで抱えず

30分で、一緒に整理します。

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