親切・善意だと思いました。私も感謝しました。でも残ったのは、強い違和感でした。なぜでしょうか?

森の中に続く木の遊歩道と、板が一部ずれた古い木製ベンチ。進めるが、どこか居心地の悪さを感じる風景。

今回書くのは、私自身が体験した、
古い自転車の処分から始まった一連の出来事です。

はじめ私は、
親切で助けてもらっている。
相手の方の善意だ。
そう受け取っていました。

実際、助かりましたし、感謝もしていました。
それなのに、あとになって強い違和感だけが残りました。

相手を責めたいわけではありません。
悪意があったとも思っていません。

ただ、
「私は本当は、どうしたかったのだろう?」
そんな感覚だけが残りました。

これは、親切心や善意そのものを扱う話ではありません。
親切や善意に見える行為の中で、
自分の判断や感覚が後回しになっていくとき、
何が起きていたのかを振り返った記録です。

目次

「自転車を処分してあげるよ」と言われた出来事

私の古い自転車の調子が悪くなりました。
通勤に必要だったため、新しい自転車に買い換える必要がありました。

しかし、転居したばかりで、自転車店がどこにあるのか分かりません。
不調の自転車をどうすればよいのかも分からず、
私の頭の中は、そこで止まっていました。

以前住んでいた場所には、なじみの自転車店がありました。
軽トラックの貸出サービスもあり、それを利用して修理に出すことができました。
新しい自転車を買う際には、古い自転車を無料で処分してもらえました。

ところが、転居先は郊外で、
大手の自転車チェーン店もなく、軽トラックの貸出サービスもありません。

少ない休日を使って自転車店を探すことや、
レンタカーを借りて自転車を運ぶことを考えるだけで、
手間が大きく、何もできないまま困っていました。

そんなとき、勤務先の会社に、
不要品回収業者が定期的に出入りしていることを知りました。

私はそれとなく店長に相談してみました。
すると店長は、こう言いました。

「古い自転車なんか、処分してあげるよ。
業者に言っておく。私が言えば、自宅まで取りに行ってくれるから。」

私は、ありがたいと思いました。
同時に、理由ははっきりしないまま、違和感も感じていました。

親切なのに、なぜか心に引っかかったこと

結局、私は店長の提案に甘えることにしました。

不用品回収業者と時間を決め、
勤務中に会社の車を借りて自宅に行き、
自転車一台と、引っ越しの不要品の洗濯機も回収してもらいました。

通常であれば、
処分業者を調べ、予約をし、
車を用意して処分場に持ち込み、処分費を支払う必要があります。

それらの手間が一切かからず、
短時間ですべてが終わりました。
私は店長に感謝を伝えました。

新しい自転車の購入店も教えてもらい、
購入することができました。

私は新しい自転車で通勤を始めました。
しかし、その後も違和感は残りました。

その違和感の正体が分かったのは、
だいぶ後になってからでした。

なぜ、その場では言葉にできなかったのか

今思えば、
自転車の処分にしても、新しい自転車の購入にしても、
こう言うことはできたはずです。

「やはり自分で、もう少し考えます。」

それでも、あの時の私は、そう言いませんでした。

自転車を処分した後、
なぜ強く後悔したのか。

ここではまず、
私が感じていた違和感が、
別の出来事を通して、はっきりしていった過程を記します。

いつの間にか、判断を相手に合わせていたこと

当時、私は店長とほとんど話したことがありませんでした。
転居したばかりの職場だったためです。

そのため、自分の困りごとを話すこと自体、
私にとっては勇気が必要でした。

店長は、「そんなことは大したことではない」 という雰囲気で、すぐに対応しました。
なぜ店長が一社員の私にそこまで親切にしてくれるのか、当時は分かりませんでした。

後日、偶然でしたが、
私が処分品として引き渡した自転車が、
ゴミ置き場に置かれているのを見ました。

そのとき、気づきました。
私は、まだ乗りたかったのです。

この自転車には、思い出があり、愛着がありました。

しかし、あの場では、
私は新しく入った平社員で、相手は店長でした。
当時の私は、その関係性の中で出来事を捉えていました。

「親切」では説明できなくなった出来事

その後も、同じような違和感を感じる出来事が続きました。

店長と二人で車で取引先に出かけることが多く、
車中での出来事です。

店長は助手席に座り、電話を受けたり、電話で業務指示をしています。

その合間に、道に詳しい店長は、道を知らない私に細かく道順を伝えます。
「ここで車線変更をしなさい」「次の角を曲がりなさい」というように。

その中で、印象に残っている出来事が二つあります。
一つは黄色信号を直進したとき、
もう一つは右折しようとして制止されたときです。

違和感の正体が、はっきりした瞬間

一つ目は、黄色信号を直進したときのことです。

私は慣れない道では慎重に運転します。交差点では、歩行者の有無、信号の変化、車の速度や後続車との距離などを同時に判断します。

その日、停止線の直前で信号が黄色に変わりました。
私は一瞬迷った末、直進しました。

その際、隣に同乗している店長の存在を意識していました。
これまでに言われた言葉が頭に浮かびました。
「あなたの運転は慎重すぎます。黄色はさっさと突切りなさい」

 ところが、この日は、交差点を通過中に強い口調で言われました。
「黄色でしょ。止まるべきでしょう」

もう一つは、右折しようとしたときです。

すでに交差点に侵入し、右折レーンに入っていましたが、
店長は助手席で大声で言いました。
「直進でしょう。」

私は慌ててブレーキを踏みました。
道を間違えて時間を無駄にするな、という強い圧力を感じました。
後続車の様子も見えましたが、私はウインカーを戻し、直進しました。
結果的に事故は起きませんでした。

こうした出来事が続く中で、
私はある日、自分が感じていた違和感の正体に気づきました。

私が自分の気持ちを後回しにしていた理由

当時の私は、
古い自転車を本当はどうしたいのか、
自分でもはっきり分かっていませんでした。

処分すればこの問題を考えなくてよい、
引っ越し直後で片づけモノが多く、早く進めたい、
仕事も忙しく、考える余裕がなかった、
という時期でした。

そんな状況の中で、「手軽な方法」を提示され、
深く考えないままそれを実行しました。

あとで私が気づいたのは、違和感の正体が、
「自転車の処分」そのものではなかった、ということです。

違和感を強く感じた場面を振り返りました。
「自転車を処分してあげるよ」という親切な話を断れなかった
その場では感謝していたのに、後から強い違和感が残った
迷ったが黄色信号で直進した
右折すべき場面で、直進に戻してしまった

これらに共通する点に気づきました。それは、
本来、自分で決めるべきことなのに、
いつの間にか、相手に合わせた行動をしていた
ということです。

自分の気持ちより、相手を優先した、ということです。

「私はどうしたいか」を考える前に、
相手に合わせすぎていました。

相手が悪かったわけでも、
私が弱かったわけでもありません。

「早く解決したい」
「関係性を乱したくない」
「相手の立場を考えすぎていた」

そうした思いや状況が重なり、
私は自分の気持ちを脇に置いていました。

 自分の本当の気持ちを確認する作業を、
無意識のうちにやめてしまっていたのです。

「自転車を処分してあげるよ」と言われた時は、
相手を立て、相手の提案通りに作業を進めました。
私は親切な申し出を受け入れ感謝しました。

けれど、 私の本当の気持ちはこうでした。

「大切にしてきた自転車を、
処分品として手放すことは、まだしたくなかった」

これが、今でも私の中に残っている強い違和感の正体でした。

もしあなたも、後味の悪さを思い出したなら

この話を読んで、

あなたが何か後味の悪い経験を思い出したとしたら、
それはひとつの手がかりかもしれません。

あなたが優しすぎるからでもなく、
あなたがノーと言えない弱者であったからでもなく、
あなたの選択がやむを得なかった場合も多いのです。

多くの場合、
相手との関係性の中で、
判断の置き場所が一時的にずれていただけ 
ということもあります。


自分を抑えすぎた、あるいは、
相手を立てすぎただけ 
かもしれません。

「違和感」をそのままにしないために

私は、 こうした言葉になる前の違和感を、
「出来事として整理する場」
を設けています。

そこで扱うのは、
誰が正しいか、悪いか、ではありません。

何が起きていたのか、
なぜその場で言葉にできなかったのか、
今後、同じ場面が起こった時
どうすれば後悔せずに済むのか

違和感を「出来事として整理する場」では、
答えを出すことも、
あなたの行動を決めることも、ありません。

ただ、 出来事を整理して眺めます。

もし今、
自分の中に言葉にできない違和感が残っているなら、
一度、言葉にして整える時間を持つこともできます。

詳しく知りたい方は、こちらの記事に進んでみてください。

▶︎[心の通訳|1回完結の出来事整理]

ひとりで抱えず

30分で、一緒に整理します。

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